あゆみ
昭和4年 |
中川竹一商店の事業の一部としてタイヨー印刷袋工場として創業 |
昭和14年 | 資本金19万8千円とし中川商事株式会社を設立 |
昭和15年 |
広島市宇品陸軍糧秩廠の指定工場となり携行食糧用紙袋の生産を行う |
昭和18年 | 事務用封筒の生産を開始広島逓信局等に納入 |
文部省の教育ノートの指定工場となる | |
小中学校用の学習帳の生産を始める | |
昭和24年 | 大阪市南区瓦屋町に大阪営業所を開設 |
昭和25年 | 資本金5百万円に増資 |
昭和27年 | 東京都港区芝三田に東京営業所を開設 |
昭和29年 | 資本金2千万円に増資 |
ポリエチレン加工部門に進出 | |
昭和31年 | ポリエチレン自動製袋機を導入 |
ポリエチレン規格袋の販売を開始 | |
昭和32年 | 紙用グラビア印刷機を設置 |
昭和33年 | 東京都荒川区町屋に東京工場を建設、東京営業所を統合 |
福岡市吉塚祝町に福岡営業所を開設 | |
資本金2千2百万円に増資 | |
昭和34年 | 大阪市城東区今福南に大阪工場を建設、大阪営業所を統合 |
資本金3千8百万円に増資 | |
角底紙袋部門に進出 | |
昭和35年 | ノート・封筒製造部門を廃止 |
資本金5千万円に増資 | |
昭和36年 | 東京工場を埼玉県桶川市朝日に移転し設備を強化 |
旧工場の一部を改装し東京営業所とする | |
昭和37年 | 資本金1億円に増資 |
昭和38年 | 資本金1億6百万円に増資 |
昭和39年 | 資本金1億5千万円に増資 |
中川製袋化工株式会社に商号変更 | |
昭和41年 | 名古屋市外西枇杷島町に名古屋工場を建設 |
昭和42年 | 福岡市博多区吉塚に福岡工場建設、福岡営業所を統合 |
愛媛県松山市中央に松山営業所を開設 | |
資本金2億円に増資 | |
昭和45年 | 本社工場を大竹市港町軽工業団地に移転 |
名古屋工場を小牧市久保本町に移転 | |
資本金3億円に増資 | |
昭和48年 | 大阪工場増改築工事を完了 |
昭和49年 | 資本金4億5千万円に増資 |
昭和51年 | 宮城県名取市増田に仙台工場建設 |
岡山県古新田に岡山営業所を開設 | |
昭和52年 | 資本金6億円に増資 |
昭和53年 | 東京営業所を中央区八丁堀に移転 |
昭和54年 | 創業50周年記念式典を実施 |
昭和55年 | 横浜市金沢区幸浦、横浜流通団地に横浜配送センターを開設 |
昭和56年 | 東京工場増改築工事が完成 |
昭和57年 | 三菱油化株式会社と業務提携実施 |
資本金を7億5千万円に増資 | |
名古屋工場を小牧市三ツ渕に移転 | |
中川兼太郎が代表取締役社長に就任 | |
取締役会長中川兼人が産業功労者として勲四等端宝章の生存者叙勲を受ける | |
昭和62年 | 東京営業所を中央区日本橋大伝馬町に移転 |
平成元年 | 創業60周年記念式典6月全従業員ハワイへ慰安旅行を実施 |
平成2年 | 横浜市西区北幸に横浜営業所を開設 |
平成3年 | 資本金11億2千5百万円に増資 |
福岡工場改築工事が完了 | |
平成4年 | 札幌市北区北七条西に札幌営業所を開設 |
平成6年 | 本社ビル完成 |
平成7年 | 滋賀県長浜市祇園町に長浜工場建設、名古屋・大阪両工場を統合 |
大阪営業所を大阪市中央区今橋に移転 | |
平成8年 | 横浜営業所を横浜配送センターに統合 |
平成9年 | 名古屋営業所を名古屋市中区丸の内に移転 |
仙台工場増改築工事が完了 | |
平成10年 | 横浜営業所を東京営業所に統合 |
札幌営業所及び岡山営業所を閉鎖 | |
平成14年 | 福岡工場を大竹工場に統合 |
東京工場の生産部門を仙台工場に移管し、東日本物流センターとする | |
平成15年 | 東京営業所を中央区室町に移転 |
東日本物流センターを閉鎖 | |
高一商事(株)及び大豊フィルム工業(株)の全株を取得し子会社とする | |
平成20年 | 資本金4億5千万円に減資 |
福岡営業所を福岡市博多区に移転 | |
平成21年 | 高一商事(株)と大豊フィルム工業(株)の合併によりNTフィルム(株)に商号変更 |
平成22年 | 名古屋営業所を長浜工場に統合 |
平成23年 |
大竹工場陽圧化工事が完了 |
中川兼一が代表取締役社長に就任 | |
平成25年 | 資本金1億円に減資 |
平成26年 | 松山営業所を大竹工場に統合 |
創業85周年記念サンN会ハワイ旅行を実施 |